沿革
シルバーリボンジャパンの生い立ち
運動の始まり
シルバーリボンは1993年に、米国カリフォルニア州ニューポートビーチ在住の弁護士、ジーン・リーシティ氏によって始められた運動です。
そのきっかけとなる出来事は、リーシティ氏の息子が統合失調症を発症したことに遡ります。
当時は現在のようにインターネットなどの情報獲得手段が発達しておらず、周囲から精神疾患に関する理解を得ることは容易ではなく、リーシティ一家は様々な偏見や差別に苦しめられる日々が続きました。しかし悲しみに打ちひしがれているだけでは何も変わらないと、ある日ジーン・リーシティ氏は、「統合失調症に対して理解を示します」といったメッセージが込められた手作りの銀のリボンを作り始めました。それを周囲の方たちにつけてもらうことで、統合失調症に対する偏見や差別を払拭しようと考えたのです。
世界への広まり
その取り組みは、年月と共に米国中へと広がり、やがて銀のリボンのバッジを身につけることで、「脳に起因する病(障害)や心の病への理解を促進する」という目的の一大チャリティー運動に発展していきました。
シルバーリボン運動が世界的に広く知られるようになったのは、2002年3月に行われたアカデミー賞の授賞式からです。
統合失調症を患った天才数学者が、病気に翻弄されながらも後に克服し、やがてノーベル数学賞を受賞する感動作品「ビューティフル・マインド」が、この年の監督賞と作品賞に選ばれたのです。そして両手でオスカーを抱えたロン・ハワード監督の胸には、シルバーリボンが輝いていました。
日本での展開
シルバーリボン運動が日本で展開されるようになったのは、西暦2002年になります。福島県浜通り地方にある楢葉町在住の杤久保 寿治氏が、リーシティ氏から日本でこの運動を展開してくれないかと直接依頼されたことから始まりました。
杤久保氏は恵子夫人と共にシルバーリボンの普及に尽力され、現在もNPO法人シルバーリボンジャパンの会長として、活動に携わっています。
近年の動き
その後2007年には、首都圏からシルバーリボン運動を普及する目的で、横浜市内にも事務局を設置し、2008年にNPO法人シルバーリボンキャンペーン横浜を設立しました。
その後東京、神奈川、埼玉、千葉と活動メンバーが増えていったことから、活動拠点をメンバーが集まりやすい東京都内(池袋)に移し、2014年にNPO法人シルバーリボンジャパンと名称変更をすることになりました。
2015年の4月には、横浜市内で就労継続支援B型事業所ゆめが丘DCを開設し、現在は脳や心に起因する疾患(障がい)の啓発活動と、精神障がいの方の就労支援事業を行っています。
シルバーリボンジャパンの沿革
- 2002年
- 福島県浜通り地方の楢葉町にシルバーリボン日本事務局が開設
- 2007年
- 横浜市内にシルバーリボン横浜事務局が開設
- 2008年
- 横浜事務局が、NPO法人シルバーリボンキャンペーン横浜として法人格を取得
- 2011年
- NPO法人シルバーリボンキャンペーン横浜の活動拠点が東京(池袋)へ移転
東京(新宿)の会場で、イベント「第一回メンタルヘルスデー」を開催
日本事務局と横浜事務局の機能を統合し、シルバーリボンジャパンとして活動開始 - 2012年
- 認定NPO法人ぜんせいれんの山口会長、東洋大学ライフデザイン学部の稲沢教授が顧問に就任
- 2014年
- NPO法人シルバーリボンキャンペーン横浜を、NPO法人シルバーリボンジャパンに名称変更
- 2015年
- 横浜市内にて就労継続支援B型事業所ゆめが丘DCが開所